気韻生動

2017年04月14日

お恥ずかしい限りですが、最近になって知り感銘を受けた言葉「気韻生動(きいんせいどう)」について書きたいと思います。

5世紀末(479~502)の南斉の画論家で、人物画の名手といわれる謝赫が「古画品録」の序で述べたもので、中国画の理想とする条件・手法である「画の六法」のうちの第一番目に挙げた言葉だそうです。

気韻…気高い趣。気品・風格のある様子。

生動…生き生きとして躍動感があること。

「気品があって、犯しがたい風格・情緒が漂い、しかも生き生きとして躍動感に満ちている。」ということになるのでしょうか。

教育に携わる者にとってみれば、まさしく目指す教育現場の理想と重なる言葉ではないでしょうか。

また、教育だけでなくこれからの国づくり、物づくりにとっても目標となる言葉ではないかと思っています。

国づくりの世界でいえば、これからは国全体が「生き生きとして躍動感にあふれること」が必要でしょう。しかし、それだけでは不十分だと思うのです。

物づくりにしても、便利で使い勝手の良いものを安価で造ればよいという時代はとうに過ぎていると思います。

そこに求められるのは「品位」です。

他のものには見られない製品の品格とでもいうか、品位あるデザインと言ってもいいでしょう。そして、それを生み出すのはやはり人であり国柄ということになります。

その人づくりに欠かせないのが、「気韻」であり「生動」であると思っています。

日本には古代から神道での倫理観を言葉として伝えた「浄(清く)、明るく、正しく、直く」がありますが、浄(清く)・正しく・直くは「気韻」。

明るくが「生動」と言い換えてもいいのではないかと思います。

日本航空高校の校風で言えば、「自由と規律」「共感共創」が気韻。「長所進展」が生動。

真理を追求すれば、一つにつながる。そんなことを考えます。

葉桜が満開の頃の余韻を伝える春暖の今日この頃、さわやかな高校生たちの「生動」に日々エネルギーをもらっています。


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